19世紀初頭のロンドン。狭く、不衛生で、無秩序な街並みが広がっていた時代。
馬車が行き交い、煤煙に覆われた建物が立ち並ぶ中、ある二人の男が都市の未来を描き始めました。
その男たちとは、天才建築家ジョン・ナッシュと、後のジョージ4世であるプリンス・リージェントです。
1666年に発生したロンドン大火災は、この都市の建築を根本から変えた歴史的転換点でした。
この壊滅的な出来事から約150年後、ジョン・ナッシュとプリンス・リージェントは、ロンドンの更なる再構築と近代化を完結させた二人でした。彼らの取り組みは、単なる建築プロジェクトを超えた、都市全体の再設計だったのです。
ジョージ4世は、華やかで贅沢を好む王子として知られ、派手なライフスタイルで注目を集めましたが、同時に気まぐれでわがままな側面も持っていました。しかし、彼の真の価値は、芸術と建築に対する深い情熱と理解にありました。
一方、ジョン・ナッシュは、単なる建築家以上の存在でした。彼は未来の都市像を想像し、それを現実に形にすることができた稀有な創造者でした。
二人に共通していたのは、既存の枠組みを超える勇気と、建築や芸術への飽くなき情熱でした。
彼らのパートナーシップは、1811年から1820年のリージェンシー時代を象徴し、イギリスの建築と文化に革命的な変化をもたらしました。若くして摂政となったジョージ4世の権力と、ナッシュの卓越した創造性が融合し、ロンドンの都市景観を根本から再定義したのです。彼らの collaboration は、単なる建築プロジェクトを超え、未来への壮大なビジョンを体現するものでした。
天才建築家ジョン・ナッシュの壮大なビジョン
19世紀初頭、ジョージ4世の命を受けたジョン・ナッシュは、ロンドンに革新的な都市デザインを生み出しました。
リージェント・ストリートと言えば、多くの人がオックスフォード・サーカスからピカデリー・サーカスまでの華やかな区間を思い浮かべるでしょう。実は、リージェント・ストリートってもっともっと長いんです。
リージェンツパークから続く、リージェント・ストリートは、単なる通りではなく、彼の都市計画の傑作で、ロンドンという都市の重要な軸線となっています。
有名な区間以外の部分も、同様にナッシュのデザイン哲学を反映しており、建築的・歴史的に興味深い特徴を持っています。

驚きのデザイン秘話
ジョン・ナッシュが意図的にこの独特な曲線を設計した理由は、主に以下の3つです:
- 社会的な意図。 曲線は人々の歩行速度を自然に調整し、ゆっくりと街並みを楽しむ空間を創出します。これは、当時のプリンス・リージェントが望んでいた上流社会の優雅な生活様式とも合致していました。
- 視覚的な美学。当時の建築思想において、直線的で硬い通りとは異なり、曲線は優雅さと洗練された印象を与えます。ナッシュは、街並みに流麗で芸術的な美しさを持たせることを意図していました。曲線は視線を自然に誘導し、歩く人に連続的で調和のとれた景観体験を提供します。
- 地形への適応 ロンドンの元々の地形は起伏に富んでいました。直線的な通りを無理やり作るよりも、自然な地形に沿って曲線を描くことで、効率的かつ美しい都市設計が可能になりました。 この曲線設計は当時としては革新的で、後の都市計画に大きな影響を与えた先駆的な手法でもあったのです。現在でも、リージェントストリートの曲線は建築家や都市計画家から高く評価されています。
この曲線設計は当時としては革新的で、後の都市計画に大きな影響を与えた先駆的な手法でもあったのです。現在でも、リージェントストリートの曲線は建築家や都市計画家から高く評価されています。
何度も訪れても飽きることのない、とても美しく作られた建築的曲線です。
さて、大火災後のロンドンで広まったのは、ジョージアン様式で、もちろん、ナッシュの時代も主流はジョージアン様式でした。
しかし、ナッシュは、ジョージアン様式を単に継承するだけでなく、発展させ、新たな解釈を加えました。
例えば、リージェント・ストリートは、ジョージアン様式の原則を完全に取り入れながらも、曲線美を足すことで、ただの伝統からの脱却に成功し、より洗練された作品への昇華しています。
リージェント・ストリートの建築の隠れた秘密
おもしろいのは、リージェントストリートの建物が実は統一されたデザインになっていること。一見バラバラに見える建物も、実は厳密な建築規則に従っているんです。各建物の高さ、ファサードの装飾、色使いまでもがナッシュの厳密な指示のもとに建設されました。
現代でもそれはしっかりと守られていて、前回の記事でも少し触れています。
そして、もうひとつの案外知られていない秘密は、建設当初は、クワドラント・コロネードと呼ばれる、壮大なコロネード(列柱)があったことです。現在のピカデリーサーカス側にあったと言われています。
残念ながら、この素晴らしい建築は19世紀後半に取り壊され、現在は存在しません。しかし、その影響と美しさは、当時の建築記録や絵画、スケッチなどを通じて今に伝えられています。

取り壊された理由としては、産業革命の真っ只中のロンドンでの空間利用のニーズが変わったことなど、様々な理由が考えられています。

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なくなってしまったものは仕方ないですが、残念です!ぜひ体験したかった。
バッキンガム宮殿:王室の威厳を再定義
さて、英国王室の居城は、長らく様々な宮殿や邸宅を使用していていたのですが、ついにジョージ4世(プリンス・リージェント)に命じられたナッシュが、当時のバッキンガム・ハウスを壮大な宮殿に改修しました。1820年代のことです。

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それまで控えめだった宮殿は、彼らの手によって、イギリス王室の威厳と豪華さを象徴する壮大な建築へと生まれ変わりました。
その後、1837年にヴィクトリア女王が即位すると、バッキンガム宮殿は徐々に王室の主要な公的居城としての地位を確立していきました。ヴィクトリア女王は、宮殿のさらなる改修と拡張を行い、現在の姿に近づけていきました。
バッキンガム宮殿建築のちょっとした秘密
壮大な宮殿へと改修されたバッキンガム宮殿、当然驚くべきほどの予算超過を起こして、ナッシュと王室の関係も一時期危うくなったそうです。どの時代も、建築に付き纏う問題ですね!
ただし、ジョージ4世自身も、あまりに奇抜で非現実的なアイディアを出しては、ナッシュを困らせていたようですが…
予算超過への対策ということで、ナッシュは部屋や廊下のサイズを標準化し、建設を効率化することに勤めました。現代では当然のことですが、この時代では革新的な方法で現代建築の先駆けとなったとも言われています。
都市は生きている:夢を刻む建築たち
歴史は建物や通りに宿ります。その物語を紐解けば、都市はさらに豊かに、さらに深く理解できるはずです。ロンドンは、単なる都市ではありません。それは壮大な夢を体現する、生きた博物館なのです。
リージェントストリートの優雅な曲線や、バッキンガム宮殿の威厳。それぞれの場所に、ジョン・ナッシュとジョージ4世の夢と情熱が今も生き続けています。
建築は静止した石や煉瓦ではない。それは、人間の創造性と野心が紡ぐ、永遠に語り続ける物語なのです。
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