キングスクロスといえば?
キングスクロスの再開発は、突然生まれた“おしゃれエリア”ではありません。いま私たちが目にする広場やショップの景色の下には、この場所を長いあいだ動かしてきた「運ぶための仕組み」が残っています。つまりキングスクロスは、建築の名所として育った街というより、まず 運河と鉄道という二つのインフラが骨格をつくり、その上に産業と暮らしが積み重なっていった都市でした。
ロンドン・キングスクロスと聞くと、ハリー・ポッターのプラットフォーム9¾や、新しい街並みを思い浮かべる人も多いかもしれません。でも、この街を理解する近道は、派手な建築を探すことではなく、運河沿いの倉庫や駅の大屋根、広場の余白といった“都市の装置”がどうつながっているかを見ていくことです。街の成り立ちをたどるほど、キングスクロスが長いあいだロンドンの「裏側」として機能してきた理由まで、一本の線で見えてきます。
King’s Cross Series(キングスクロス再開発シリーズ)
ロンドン在住25年の建築家が、キングスクロスを「歴史×再開発×建築」で読み解きます。
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この回では、キングスクロスの歴史を ① 運河(物流の始まり)→ ② 鉄道(結節点の誕生)→ ③ 最盛期〜衰退〜再生(都市の表と裏) の順で追います。出来事の年号を暗記するより、「なぜそうなったか」を原因と結果でつないでいくと、再開発エリアが“結果としてこうなっている”ことが見えてきます。
ここが分かると、ただの散歩が「都市の読み解き」になって、キングスクロスの面白さが一段増します。
- キングスクロスは“どんな街”として始まったのか
- リージェント運河:ロンドンの物流を変えた水の道
- キングスクロス駅:機能がそのまま顔になったインフラ建築
- 工業地帯としての最盛期、衰退と低迷期
- 再生への道筋:なぜここで再開発が動き出したのか
- 歩いて確かめる:運河×鉄道が交差する観察ポイント
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キングスクロスは“どんな街”として始まったのか
キングスクロスを理解する近道は、「建築が先か、インフラが先か」を見分けることです。ここは、建築の名所として育ったというより、まず 物流の装置として輪郭ができました。だからこそ、いま見える“洗練された街並み”もゼロから生まれたのではなく、運ぶための空間・動線・余白が、時代に合わせて読み替えられてきた結果として理解すると筋が通ります。
次の章では、その“最初の骨格”をつくったリージェント運河から見ていきます。
キングスクロスは“駅名”が先に有名になった印象がありますが、場所の呼び名が先に定着していた…という見方をすると、街の成り立ちがぐっと立体的になります。
リージェント運河:ロンドンの物流を変えた水の道
1810年代、ロンドンは大きな都市改造の時代に入ります。象徴的な話としては、プリンス・リージェント(後のジョージ4世)の後援のもとで進んだ都市プロジェクト、その一つがリージェント運河です。
ここで大事なのは、運河が「風景」ではなく、都市の経済を動かすためのインフラだったことです。水の道ができると、資材や燃料が流れ、荷揚げ場が生まれ、倉庫が建ち並びます。言い換えると、運河は街の“裏方”を強くし、都市の背骨をつくる装置でした。
キングスクロス周辺でも、運河から産業用の支線が伸び、北部の工業地帯からの物資輸送を担いました。運河沿いに石炭置き場や倉庫が並び、ここは当時のロンドンのエネルギー供給基地として機能していきます。
いまの運河沿いが心地よく感じられるのも、もともと「作業のための余白」が確保されていたから、と考えると納得がいきます。
再開発は、その余白を“滞在の余白”として読み替えたと捉えると、運河沿いの都市デザインがぐっと腑に落ちます。

York Wayから、現在のGranary Squareに向かった眺め。画像はこちらから
キングスクロス駅:機能がそのまま顔になったインフラ建築
キングスクロス駅が開業すると、このエリアはさらに“結節点”としての性格を強めます。運河と鉄道が交わるという条件はロンドンでも限られていて、物流と人の流れが重なる場所になります。ここで重要なのは、駅が「単体で立派だから中心になった」のではなく、すでに運河で形成されていた物流の流れに、鉄道が上乗せされたことです。インフラ同士が重なると都市は一気に強くなる——キングスクロスは、その典型例と言えます。
キングスクロス駅の顔つきは、とても実用的です。大きなアーチ状の屋根(トレインシェッド)が象徴ですが、派手な装飾で「駅らしさ」を演出するというより、運用の合理性がそのまま外観として成立しています。インフラ建築の面白さは、この「機能が姿になる」感じにあります。控えめに見えるのに骨太で長く使われる——キングスクロスの“控えめさ”は、弱さではなく「物流の街」の強さでもあります。

建設当初のキングスクロス駅。再開発のマスタープランを行った、Allies and Morrisonのウェブサイトから
一方、すぐ隣のセントパンクラス駅は、キングスクロスとは真逆の方向に振り切った駅です。駅舎(ホテルを含む)は一般に、ヴィクトリア期のゴシック・リヴァイヴァル、つまりヴィクトリアン・ゴシックの代表例として語られます。
キングスクロスが“運用の装置”としての合理性を顔にしたのに対して、セントパンクラスは“都市の顔”として記憶される建築になっている。この役割の差を意識すると、二つの駅の並びが一気に面白くなります。
ここで少しだけ触れておくなら、当時の美術評論家ジョン・ラスキンの存在も背景にあります。ラスキンは中世建築(とくにゴシック)の価値を強く語り、建築が「実用」だけでなく「社会や思想を映すもの」として語られやすい空気をつくりました。だからこそ、同じ時代に生まれた二つのターミナル駅が、片方は機能を、もう片方は象徴性を背負う、そんな“二重の入口”がこの場所に成立した、と捉えると理解が整理されます。
ちなみに、ジョン・ラスキンの著書『ヴェネツィアの石 (Amazonのアフィリエイトリンク)』は、現代のイギリス人建築家の間でも必読書で、私も大学院時代に読みました!
この二駅の違いは、単なる「地味 vs 華やか」ではありません。もっと言えば、“都市の玄関口をどう見せるか”という思想の違いで、キングスクロスは「運用」を、セントパンクラスは「象徴性」を強く押し出したと捉えると理解が整理されます。
だからこそ、同じ場所に並んでいるのに、街の“表情”が二重に見えてくるのが面白いところです。
キングスクロスの“控えめさ”は、弱さではなく「物流の街」の強さでもあります。駅が主役になりすぎないから、街の動き(人と物の流れ)が主役として見えてきます。

ビクトリア時代のPentonville Roadからの眺め。キングスクロス、セントパンクラス駅が見えます。画像はこちらから
工業地帯としての最盛期、衰退と低迷期
運河と鉄道が揃うと、街は強くなります。倉庫が集まり、資材が集まり、工場が動く。
キングスクロス周辺はロンドンの産業の中心として機能していきました。ここまでの流れは、都市がインフラによって“成長する”典型例です。物流の結節点は便利で強い一方、その強さは都市の使われ方を単一化しやすく、次の時代に歪みとして現れることもあります。
しかし、産業の集積は同時に“影”も生みます。倉庫街は夜間に人通りが減り、労働環境や住環境、治安の問題が重なりやすい。
キングスクロスが長いあいだ「ロンドンの裏側」として語られてきた背景には、都市構造の必然があります。さらに1950年代以降、物流の主役が変わり、運河の商業利用も減少し、産業施設は役目を終えていきます。インフラが残り、用途が消える。都市の空白が生まれる条件が揃ってしまったのです。
1970年代には、使われなくなった倉庫や工場が、スクウォットやアンダーグラウンドな使われ方をする時期もありました。“良い/悪い”の評価だけではなく、「余った大空間が、次の文化の受け皿になる」こともある、都市の面白さは、こういうところにあります。
キングスクロスの再生を理解するうえでも、この“空白の時代”は実は重要で、後の再開発が「何を引き継ぎ、何を入れ替えたのか」を考えるヒントになります。
再生への道筋:なぜここで再開発が動き出したのか
再生の転機として語られるのが、1990年代以降の大きな動きです。交通結節点としての価値が再評価され、歴史的建造物を活かしながら街を“編集し直す”条件が揃っていきます。
再開発は「お金をかけて建て替えたから成功した」という話になりがちですが、キングスクロスはそれだけでは説明できません。むしろ、都市側に「編集できる骨格」と「使い方を切り替えられる余地」が残っていたことが決定的でした。
この一帯が「物流の裏方」から「都市の入口」へ役割を切り替えるうえで、セントパンクラス駅の動きも外せません。
国際列車の受け皿としての再整備が進むことで、周辺は単なる倉庫街の更新ではなく、「ロンドンの玄関口を整える」という文脈で語られやすくなりました。キングスクロスが運河と鉄道で培った“運用の装置”の骨格を持つ一方で、セントパンクラスは象徴性の強い“都市の顔”として作用する。二つが隣り合うことで、このエリアは「物流都市の再編集」と「都市の入口の再構築」を同時に成立させる条件を持っていた、と捉えると整理がつきます。
キングスクロスの再開発が成功例として語られる理由は、見た目の刷新だけではありません。大雑把に言えば、次の3つが同時に成立していたことが大きいです。
交通・土地・遺産という「再生の材料」が、同じ場所に揃っていたということです。

現在のキングスクロス駅と、セントパンクラス駅。画像はこちらから
ここから先は、マスタープランの思想を読むと一気に整理が進みます。街がどう“編集”されたのかを理解すると、建物単体ではなく都市の意図が見えてくるからです。
歩いて確かめる:運河×鉄道が交差する観察ポイント
キングスクロスは、歩くと理解が早い街です。もし現地に行くなら、次の3つだけ意識すると“初心者→中級”に一段上がります。どれも難しい話ではなく、見方のクセを少し変えるだけで効いてきます。観光のついでに、都市の骨格を一度だけ意識してみる——それだけで景色が変わります。
再開発で価値になったのは、新築そのものより「古い骨格を今の暮らしに合わせて編集できる余白」だったりします。ここに気づくと、キングスクロスは“おしゃれ”ではなく“都市デザインの教材”になります。
おわりに
キングスクロスは、建築の“美しさ”で始まった街ではありません。運河と鉄道という、地味だけれど強いインフラが街の骨格をつくり、最盛期と衰退を経て、いまの再生へつながっています。歴史を知ると、駅や運河沿いの景色が「映え」以上のものに見えてくるのは、その骨格がいまも残っているからです。見えているのは新しい建物でも、動いているのは古い都市の論理——そう感じられたら、この街の読み解きは成功です。
ガスホルダー住宅:キングスクロスに刻まれた時間の編集術 – Brick by Brick – London への返信 コメントをキャンセル